date 2012.01.05
手元の地図を見るとこのあたりは標高700mを超える地形で、街道の両側に見える木々も笹をはじめとした高所に生息する植物が多くなりました。
時折平坦な道が現れるようになり、それにともない道幅もかなり狭くなりました。
豊臣秀吉が小田原北条氏を攻めるために東進した際、脱いだ兜を置いたと言われる「かぶと石」を過ぎ、明るく視界が開けると国道一号線と合流します。ここが接待茶屋跡。
そして旧街道入口よりやや下方の一号線沿いに、こんもりと山中一里塚があります。
標高750m、江戸日本橋から二十六里、三嶋大社から10.6kmに位置します。
箱根と三島を結ぶバス路線「接待茶屋」バス停。どんな人がここを利用するのか…。