朝の静寂とも呼べる中で那智山詣でを終えて、那智の滝前のバス停から紀伊勝浦駅行きの路線バスに乗り込みます。
バス停前にある土産物店は開店していたものの、ここでも乗客は私ひとりでした。
整備された往来の少ない道路を進み、山を下り終えて間もなくすると国道42号線に突き当たります。ちょうどその信号がJR那智駅前になります。
その那智駅前バス停で途中降車し、国道を渡って駅前の路地を山側に入ります。
次のバス発までの限られた時間ですが、かねてよりいつの日か南紀再訪の際には、ぜひとも訪ねてみようと切望していた補陀洛山寺(ふだらくさんじ)に向かいました。
補陀洛山寺本堂を正面に見て、左側の建物に木造の船が保管されています。
これが今回目的の「補陀洛渡海船(ふだらくとかいせん)」です。
補陀洛渡海(ふだらくとかい)とは、
生きながらに南海の観音浄土(補陀洛浄土)を目指して行われた一種の捨身行である。平安時代から江戸時代まで20数回に渡り、那智の海岸から当寺の住僧達が渡海した。
この渡海船は、那智参詣曼荼羅をもとに平成五年、熊野新聞社社主 寺本静生 氏によって復元されたもので、入母屋造りの帆船で四方に発心門、修行門、菩提門、涅槃門の殯(もがり)の鳥居がある。
記録には妻側の開口から僧侶が中に入り、表から釘で板を打ち付けたとあるそうです。
約30分間の滞在でしたが、やはりここでも私以外に訪ね来る人の姿はありません。
気が付くと紀伊勝浦駅行き路線バスの時間が迫り、急いで那智駅に戻りました。
那智駅舎南脇の線路をくぐる地下道が、那智の海岸に通じています。
遠い昔に南海の観音浄土を目指して、この碧い那智の浜からあの渡海船が出ました。
熊野三山詣ででは飽き足らずに、その先の海の彼方にある観音浄土に向かった人たち。
齢六十路を目の前にして、私はとてもまだまだ修行が足りません。