この鉄道車両は「津軽のサクラ」で有名な金木町の芦野公園に展示してあります。
車両の前にある解説板によると、
「津軽半島内で伐採されたヒバの輸送手段として森林鉄道が計画され、金木から半島を半周する形で青森までの約67kmを、当時の鉄道院の協力を得て明治39(1906)年から明治42(1909)年までの3年5ヶ月で開通させた。開通当時は蒸気機関車であったが、後にガソリンエンジンに代わり、戦後はディーゼルエンジンとなる。この車両は、昭和42(1967)年の森林鉄道廃止まで使用していたもので…」。
輸送手段が鉄道からトラックに代わるまでの約60年間、この地方の繁栄を支えてきたと言っても過言ではないでしょう。その当時、青森には官営の製材工場「青森製材所」があったそうで、さらにはこのヒバ材を大陸に輸出していたと聞いたこともあります。
ヒバという木材の供給を国策として取り組み、この地方から産出される良質のヒバ材がいかに重要であったかがうかがえます。
終戦時には一時期客車としても営業運行され、その客車は地元の大工さんがヒバで造ったとか。しかし残念ながら数年前、最後尾にあった総ヒバの客車が火災にあったそうです(ホントに残念、なんとももったいない…)。
解説板の文末に「豊かさと文化をこの地に運んだシンボルとして」とあります。現在の木材業界に携わるひとりとしては、まったく想像もつかないこと。同じみちのくで、ところ変わって「強者どもが夢のあと」。