date 2011.11.16
西亀有三丁目」交差点を南西に折れて住宅地を進みます。
途中、一端常磐線の高架に沿うように、その後また南西に離れて道が続きます。日曜日のお昼前、往来する車も人影もほんのわずかでした。
静かな住宅街を道なりに進むと、二股の交差点に出ます。手元の地図を見てもこの信号機にも、特段に交差点の名称は示されてありません。
これよりさらに西へ、葛飾堀切八郵便局の前を通過して都道314号線を横断します。
都道308号線に入って西へ。
頭上高く首都高速6号三郷線、下を流れる綾瀬川に掛かる水戸橋です。この名称からして、水戸街道に掛かる橋だと実感できます。
そして橋上から南を望みます。改めて気がつくとここが首都高速小菅JCT。その当時にこの街道を行き来した旅人からは、想像するのは至難の業であろう光景です。
手元の地図に都道308号線は「平和橋通」と記載されています。そして道の両側に並んで建つ街灯には「西小菅商盛会」と掲げられてありました。
なるほど、雑貨店と思える商家や昔ながらの電気店、さらには木材店や銭湯などが軒を並べ、かつては賑やかな商店街だったのか…と、その面影は感じ取ることができました。
ここから西、首都高速中央環状線の橋脚が建ち並び、行く手を荒川土手に遮られます。
この区域を流れる現在の荒川は、明治後期にあった長雨で首都の主立った河川が軒並み氾濫したことにより、大正年間から昭和初期までかけて行われた「荒川放水路」の建設によって造られた川です。つまり明治年間まで旧水戸街道は、この荒川に遮られることなく、この先に目指す千住宿まで一本の道で続いていたことになります。
そんなこんなを考えながら、横断歩道を渡って階段を荒川土手に上がります。
下流に架かる堀切橋を渡って足立区、日光街道との追分「千住の宿」に向かいます。