伊王野の街並みを過ぎて県道を北上、途中白河に向かって左折します。福島県との県境を超えると、ほどなくして「白河の関跡」があります。朝の早い時間です、伊王野からすれ違う車も数えるほどにわずかで、車を降りても私の他には誰の姿もありません。
ここは同じ福島県にあるいわき市の「勿来の関(なこそのせき)」、山形県鶴岡市の「鼠ヶ関(ねずがせき)」と共に「奥羽三古関」と呼ばれます。古代の一時期に朝廷の勢力圏は中部と関東までで、それより以北の陸奥東北は朝廷に従わない「蝦夷」の土地でした。これら「三古関」は、関東と東北を隔てる三大関所として古代から重要な場所でした。
(こう書くと、あたかもその時代に生きていたかのようですが…。)
現代では、勿来は国道6号線が通りJR常磐線に勿来駅、鼠ヶ関は国道7号線沿いでJR羽越本線に鼠ヶ関駅があります。双方とも鉄道と海岸線に隣接していますが、この白河の関跡は鉄道や幹線道路とは少し離れた内陸にあります。
最寄りの駅はJR東北本線の新白河駅、そこからバスに揺られること約40分です。
そして江戸元禄の世に、松尾芭蕉翁と曽良の一行が紀行「おくの細道」の途中で立ち寄ったところとしても知られます。この地で芭蕉翁が「白河の関にかかりて旅心定まりぬ」と書かれているように、ここから以北はいよいよ陸奥に入るという、言わば異国の地との境であると強い思い入れが感じられます。
ところが通説では、この白河の関跡と伝えられるところはこの他に諸説数カ所あるようで、芭蕉翁と曽良の二人が、どこがいにしえの白河の関跡と確認して通り過ぎ去ったのか定かではありません。事実、「ここが白河の関跡である」と白河市によって史蹟に指定されたのは、発掘調査後の昭和41年になってからです。
伊王野近郊にはここの他にも、旧黒羽町や雲厳寺など芭蕉翁の「おくの細道」ゆかりの地がいくつかあります。道を北に眺めると、芭蕉翁と曽良の旅行く後ろ姿が見えるかもしれません。